6月、7月の振り返り(2023-08-06)
■振り返り:2023年8月6日
◎テーマ:6月1日~7月31日までの2カ月について
■振り返り(自由に)
・仕事では、この2カ月の前半(6月中)は、現場改善しようと個人的にはかなり「がんばって」いたが、フリクションもあり心身ともにかなり疲弊をしました(もともと改善など求められていないので、もっともなフリクションだと今なら思います)。
その際には「仕事との付き合い方について」の方針筮を取ってみたところ「坤為地六四」の卦が出る(6月27日)。そこから「従う」を第一として、勤務し、7月には人間関係も仕事も比較的は円満になった。
・「さぬき性」の強い職員に対して、最初はフリクションがあったが、後半は円満な人間関係となった(お褒めの言葉などを頂いた)。今までどのような職場でも同じように「さぬき性」の強い人と出会ってきた。今回は自らの「あわ性」により「従う」「受け入れる」ことで乗り越えることができたと思う。その後、その方が退職されたことも鑑み、「さぬき性」の強い方に対しての自分の課題は一定レベルである意味クリアできたかもしれないと思った。
・谷原由美さんの記事を読んで「実は親は関係ない。まったく無実」からの気づきは、大きな「何か」(親への依存)が剥がれ落ちた気がした。
・7月15日から「1日1枚描く「山」」を始めた。
→人生の本質は「無駄」にある!?無駄に無駄な絵を描いてみたい(笑)
((無駄の学校( https://fujiwaram.hateblo.jp/archive/2023/07/14 参照))
上記より引用以下
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無駄づくりでは、「有用性という言葉を捨てて、人間の精神を解放せよ」という言葉を大切にしています。プリンストン高等研究所のエイブラハム・フレクスナー氏の言葉です。無駄でもいいから、とりあえず作ろうぜ。何になるか分からないけれど、とりあえず手を動かそうぜ。ということを伝えたいぜ。
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◎主なトピック
◎テーマ:6月1日~7月31日までの2カ月について
・新しい事業所に入職した(6月1日から)
・仕事の振り返り(6月1日~7月15日まで個人的に実施、7月15日で終了とした)
・占筮:職場での仕事の付き合い方について占筮「坤為地六四」(6月27日)
・易経初級講座受講(7月30日)
・『1日1枚描く「山」』を始めた(7月15日~)
・妻の誕生日会を開催した(7月23日(日):料理でお祝いをした)
・長男との散歩が継続している(5月22日~8月1日現在:72日間連続)
・同時に長男の公文、漢字練習もほぼ毎日継続している。
・知人の写真展(岐阜)を妻と見に行った(7月22日)
・一宮七夕祭り(妻、長男、自分で楽しむ)(長女は別行動)(7月30日)
■寺子屋塾(学びのメモ)
・ブログ記事を頂く(「親と自分の季節」「飯と自分の季節」「道と自分の季節」「世界と自分の季節」)(6月7日)
・ブログ記事(ひろやすくん:100日連続投稿:自己との向き合い方について)(6月23日)
・ベリーオーディナリーピープル上映会(7月9日)
→(当事者研究、起業は苦労をするために起業した等)
・ブログ記事(谷原由美さん)(7月26日)
→「実は親は関係ない。まったく無実」という記事に気づき。
「自分が80歳になったときに今のままだと後悔すること」※次世代の子たちに「何があっても大丈夫」と信じること。そして自分自身のことを精一杯やること、生きること。(2023-07-27)
「自分が80歳になったときに今のままだと後悔すること」
という問いを自分に投げかけてみた。
すると、次の3つが思い浮かびました。
1、2は略します。
3.次の世代の子供たちに〇〇を託さなかったこと。
(次世代のことを何があっても大丈夫と信じなかったこと)
1と2については、今までにも気づいていたので、大切にして実践するのみです。
3.については、今回の問いから初めての自分の気づきでした。
3.次の世代の子供たちに〇〇を託さなかったこと。
そもそも、子どもたちに「私から」託す必要があるだろうか!?とふと、改めて思いました。
子どもたちは、子どもたちできっとこの世界を懸命に生きて行くだろうし、あらゆることをよりよくするための行動をするだろう。〇〇を託す、という偽善めいた表現ではなく、今の自分に大切なことは、次世代を信じることであり、ひるがえって、自分自身を信じることであると気づいた。つまり、自分で〇〇をできない、と信じているから、次世代に託す、などという文脈になる。もちろん、今を懸命に生きている人の発する「次世代へ託す」という文脈であるならば、それは真実かもしれない。ただ、今この時の自分には、自己欺瞞が無意識にあると気づいたので、ここに記しておく。
私にとって、「次世代へ託す」ということが大切なのではなく、「自分自身のことを精一杯やること」が大切なことである。その姿を次世代の子どもたちが観るだろう。
今年、坂本龍一さんが亡くなられた。私が、その生き様に感動し、心に響くのは、坂本龍一さんはご自身の人生、芸術に力の限り生きたからだと思う。坂本さんの功績は、後の人が引き継ぐことはできないし、彼も、決して次世代に託すなどという気持ちはさらさらなかったように個人的には思う。彼と私を比較することは全くできないが、私も坂本さんのように、自分自身のことを、精一杯にやりたい、生きたい、と思った。
今日はお休みで 「理想の一日」(早起きして掃除して・・・など) が自分にはありました。それなのに・・・(2023-07-22))
今日はお休みで
「理想の一日」(早起きして掃除して・・・など)
が自分にはありました。それなのに・・・
寝坊してしまって、9時、10時、、、と布団の中で時間が過ぎる。。
「理想でない一日」から目を背けて、さらに布団にうずくまる始末。。。(**
11時頃になって、ようやく気づきました。
「理想の一日」がもしなかったら???
「理想の一日」でなく「目の前の一日」
さらに言えば、目の前の
「今、この時」
から始めるしかないのでは?と気が付きました。
今ここにはない「理想」を求めるよりも、
今ここにある「現実」からコツコツと歩いていくことが、
自分には大切だ、と気づきました。
「理想」というヴィジョンを持つというよりも
「方向性」を定めて、
「目の前の今ココ」から歩いて行きたい、と思いました。
「続・死ぬときに抱きしめていたいもの」&編集後記(2023-07-18)
昨日は、
「死ぬときに抱きしめていたいもの」
について、メモをアップしました。
・好きな絵(自ら自由に描けた絵など)
・家族、周囲のご縁ある好きな方々
■好きな絵(自ら自由に描けた絵など)
自分の思うままに、感じるままに表現したとき、
お恥ずかしい限りですが「なんかいいな」という感覚なるからです。
■家族、周囲のご縁ある好きな方々
好きな方々が好きなので、大切にしたい&大切にされたい。
ということ。
■□■ 編集後記(問い&感想)■□■
・そもそも「好き」ってどんなときに感じるんだろう?
・自分は「好き」が好きらしいけれど、世界の「好き」しか見ていないのでは?
・それも趣味嗜好としては悪くはないが事物の極々一部分しか観察していないのでは?
・昨日のメモブログといい、フォーカスが「自分」に向きすぎていないか?
・こうやって日々書いていくと、自分の視点が可視化される?
今、死ぬときに抱きしめていたいものは?(2023-07-17)
今、死ぬときに抱きしめて死にたいものって何だろう?
・好きな絵(自ら自由に描けた絵など)
・家族、周囲のご縁ある好きな方々
「山」のイメージのこと
高校時代に登った「山のイメージ」がある。
泰然自若として、温かさと厳しさが自然の中にある。
大学時代にも「山」に登り、歩いた。
そんな体験から自分の中には
「山」の自然の空気感が、体の中に息づいている。
今まで、自分の外側のものを持ち寄っては、
うまく使いこなせずに、倉庫にしまってきたように思う。
自分の内側を感じてみると、
「山」のイメージがあった。
今、ここから出会う事象を観察し、
この内側の「山」のイメージと照合して、
目の前の『最善』の追究をしていこうと思った。